tsutsugouのブログ

研究者見習いの日記

海についてのこととか

 少し眠い。昨日からずっと寝ていた。しかし、まだ眠い。友人と会うから、そろそろ電車に乗らないと。

 図書館の本も返さなくては。面倒くさい。わたしは、本を借りるときはうきうきするけど、借りるときはそうではない。なぜか、考えてみるが、わからない。そして、そこまで考えたくはない。

 本当は今日は論文を書き進める予定だった。しかし、それは、できなさそうだ。マルクス主義についての論文なのだが。マルクス主義の論争について。

 マルクス主義は一貫性のある流れではない。マルクスのフォロワーたちだが、彼らはそれぞれ異なったマルクスの姿を思い描いている。だから、それぞれの考えるマルクス主義は異なっている。だから、マルクス主義者たちをマッピングするには、地道な思想の比較が欠かせない。マルクス主義がある本質というよりも、家族的類似性に、多分支えられているから。

 わたしはそろそろ家をでなくては。そして、電車に乗らなくては。すこし遠い街で友人たちにあう。彼らは小学校からの付き合いだ。しかし、最近は疎遠になっていた。彼らのうちの一人はいまとても信じがたいことに、モデルをしているらしい。そんなことはなんだかやはり信じがたい。それを教えてくれた幼馴染は、今日はこない。

 夢を見て、大きな街へ行く。そうしているのは、素晴らしいことだ。自分には、そんなことは、うまくできない。僕にできるのは、眠ることくらいだ。しかし、それだっていつもできるわけではない。いやもっと真面目にいうなら、哲学したり、思考したりするくらいか。わたしは、なんだかそれが、煩わしく感じる。なんでも、哲学から見てしまう。別に僕は哲学は好きではないのに、そんなことになってしまう。わたしは、もっと詩や小説なんかを書いて過ごしたいわけなのだが。そういうことを考えるが、しかし、結論としてはよくわからない。つらつらと書くのがよいか。

 哲学のことだけしたくない、という感じがある。哲学のことは、たしかに、人にとって益を与えられる、わたしのやることだ。変な文法だ。けれど、もっとわたしは日常に光をあてたい。哲学はある程度の能力があれば、それっぽいことは書ける。そんなに大したことではないし、哲学自体が虚業だと思うから、わたしはそこまでしたいとは思わない。海を見ていたことをふといま思い出した。だからなんだとはなるが。精神分析をしたいわけではない。ただこのときの印象がやはり、はっとなる。そういうことを大事にしたい。わたしの哲学への違和感。それはなんなのだろうか。よくわかるわけではないが。しかし、やはり、哲学だけをしたいわけではない。

 周囲の人間の影響もある。しかし、自己分析をわたしはしたくない。もっとくだらなきことを。と思う。わたしは、海へ行きたいとはそこまで思わない。海は塩辛く、目が痛くなる。なんともいえず、不愉快である。しかし、そうはいうものの、行こうとなると、行きたくなるものなのだろうとも思う。

 今年は海へ行かなかった。しかし、機会があれば、沖縄にでもいって、冬でも行こうかと思う。海へ。海へといって、泳げなくてもよいから、ばしゃばしゃと水にでもつかりたい。誰かと行くか。それもよい。一人でもよいのだろうから。どちらでも大した違いはないのだろう。