tsutsugouのブログ

研究者見習いの日記

昨日に続き自己のことなどあとアルチュセールについて少し、わずか

 なにかどうでもいいこと、のほうができる。いまもだ。といってもかなり主観的。だけど書けることは書けるのである、というか、こんなことを分析するのが一番やばい。テクノクラートになっちゃう。うまくいく方法を分析してうまくいくように、わざとものごとをどうでもよくする…なんてアホらしすぎる。今日はライトノベル推理小説がどうでもよくなり楽しめるようになった。あとマルドロールの歌は読んでてびりびりくる。あとダンスも以外と楽しい。すぐ振り付けも覚えれた。何を書くか、何を書くかと思わなくても書ける。かなり緩い。倫理がない。なぜだろう。好きなことができない、好きなことなのに楽しくない、というずれ。むしろ転倒か。楽しくないから好きになっているのか。おお怖いな自己分析。虐待された過去など捏造しそうになったぞ。

 高橋源一郎があの翻訳家の柴田さんと話してて、考えなくても書けるのがいいみたいなのをいってた。あの書名を見つけるのは面倒くさいけど、あれ、つまり小説の読み方、書き方、翻訳の仕方、みたいな本でいっていた。

 まあそれは一理ある。しかし、罰みたいだ。好きなことほどできないのは。人間関係も好きなことのほうができないというか、嫌われたくない、というか、なんか捕らえられてるんだよな。セカイ系的になってて、この愛とか好きな感情とかが肯定されないと俺は生きる意味がねえ!みたいな。だから攻めっけがなくなって適当さがなくなる。俺が仲良くなるのも好きじゃないやつとだ。そういえばMのことを思い出す。最初は、というかいまも好き、じゃないけどいて楽しい。好きだから楽しい、楽しいから好き、という充足理由律、いや必要十分条件か、があればいいんだけどな。わたしにおいてはそれが破綻している。

 つまり、どういうことだ?多分、好きじゃないほうがいいというか、わたしがそいつに好かれようがどうでもいい、みたいな環境になれればいいんだよな。いまもこのブログなんか誰も見てないから勝手に書いてるけど勝手にやってるけど、まあ、どうでもいいんだよな、成功するかどうかなんて。つまり『余裕』というやつか。わたしはなにが不足してるんだろう?多分好きなやつもこともそんなの持ってないはずのレアメタル的なものを持ってると思い、それを失いたくないから適当にできないんだろうな。くわばらくわばら。自己?か。自己を見てもらうというか。自己がそこにあるべきなのだ。この前の、というか昨日書いたそれとも繋がるけど、たしかに俺には自己がない、安定した自我がない…うう書いていて頭が痛くなってくる、なんて最悪なのだ…。

 まさに、あなたはわたしの自己を持ってるでしょう?いやそんなものはないんだが。たとえ美人なアイドルの美人のなかのカリスマみたいなのに愛されてもそこに自己はない。俺は自己、これが自己だということに飢えている。でも同時にそんなの鬱陶しい…。矛盾である。俺の一部をあなたが奪っかのような…。ドラゴンボールでかき集めるみたいな…。いやそんな関係いやだよな。適度に無関係で、千葉雅也っぽいが、適度につながる、ベタベタのなさ?いやこんなの書いたって別に俺も誰も本気にしないが…。俺はなにをしたいんだろう?まあ別にそんなの本当に快楽的にどうでもいいんだけど…。

 あ、アルチュセール最近読むけどまあおもしれえ。なんか論考でも書くか。書いたらアップしよう。うーん、他者。